今週はクソすばに多摩大学大学院の井形彬氏をお呼びして、対中政策としての経済安保や人権外交について議論しました。
中国が進める「監視国家」統治体制はもはや凄まじいところまできています。
『AI監獄ウイグル』(新潮社、2022年)なんかは、話を3割くらいで読んでもひど過ぎる。
一家の主は強制収容所に送られ、その代わりの監視員が奥さんと寝食をともにします。朝起きれば「心のウイルス(=反中共的メンタリティ)」に感染していないかをチェックされ、宣誓を強いられる。
街にでればコンビニに入るのでも自動販売機でもガソリン入れるのでも、バスに乗るのでもICカードをスキャンする。そうするとその読み取り機に「信用できる」と表示されれば進めますが、「信用できない」と表示されればそのまま警察に連行されます。なぜ信用できないとなるのか?町中に張り巡らされた監視カメラ、音声、すべてが捕捉され、AIによってそう判断されます。ただ、AIがなぜそう判断したかは究極的には当局者すらわからない…
このような情報通信技術に基づく監視体制を中国は世界各国に輸出しています。その結果、「デジタルシルクロード」という覇権が完成しつつある。つまり、世界の権威主義対民主主義のオセロゲームは中国有利に進んでいるんです。
先日、香港の「国家安全維持法」が成立したときも、民主主義国家よりも権威主義国家の賛成声明の方が多かったというところにも現れています
民主主義を叫びながら当局に抗議するのはテロリストである。あの暴徒を鎮圧するのは社会の秩序維持としては大変望ましいことである。という発想が、もはや世界の半分以上を占めている。
そんな中日本は対中においてもヘタレのどっちつかずで、先日のウイグルに関する非難決議も「人権状況を懸念」などというもの。
そもそも、日本社会は「個人」を析出する前に、戦後「民主主義」というハコを上からあてはめて、それが良いものとして盲目に維持してきたから、この民主主義というのは自由より平等や秩序、他者との抜き差しならない緊張よりも同調が内実です。
それはコロナ禍でよくわかりました。
最近、「選挙権威主義」といった言葉が世界では使われていますが、日本は選挙というシステムを媒介とした権威主義であって、民主主義じゃないですね。民主主義にとって選挙は十分条件ではないということです。そこじゃないんだよね、本当に民主主義を維持するなら。
溜息しか出ませんが、今週の配信ではそんな中国を中心とした秩序に、どのような対抗オプションがあるのか、また、民主主義について、詳しく論じましたので、是非ご覧ください!
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